CCCコラボに関する愚痴
2017年5月1日 ゲーム コメント (8)・CCCコラボの愚痴
~型月厨の「型月内(特にFateシリーズ)での暴走」問題
Fate/Zero(以下Zeroと記述)騒動を覚えているだろうか。StayNight原作(以下原作と記述)の前日譚として発表されたZeroだが、ライターの違いによりアルトリアやギルガメッシュなどの原作出身キャラの性格や設定が変わってしまい大きな波紋をおこした。それはそのままZeroファンと原作派間の不毛な解釈戦争へと発展し、最終的には「Zeroは前日譚ではなく、IFの過去(つまり外伝)」という形で落ち着くことになった。
この騒動においては特に、原作のライターである奈須きのこが監修するに留めて、Zeroのライターに事細かく指示しなかったために原作とZeroとの間で致命的な設定乖離が起こった、というのが通説である。「きのこがZeroを書いていればこんなことにはならなかった」という趣旨の発言、ZeroライターとZeroファンへの見下し発言が各所で見られたのを覚えている。
この騒動を振り返った上で、今回のFGOのCCCコラボ騒動を俯瞰してみよう。Fateシリーズの中でも屈指の人気を誇った外伝作品Fate/EXTRA CCC(外伝作品であるFate/EXTRAの続編『以下CCCと記述』)と、型月シェアワールドに参加した複数のシナリオライターによって形成されたFateの外伝作品であるFate/Grand Order(ソーシャルゲーム『以下FGOと記述』)のコラボ企画が2017年3月某日に発表されてから少しずつ火が付き、4月某日のFGOのイベント前日生放送の発表によって爆発的に燃え上がり大騒動となっている。ここで型月厨たちによって問題視されているのは、やはりCCC本編における敵キャラクターたちがFGOに味方として参戦するに際して「CCC本編の主人公たちとの戦いやコミュニケーションを通して改心(成長)した」という名目で「設定が歪められてしまった」ことが大きいようだ。型月厨たちの望んでいたそのキャラクターたちはCCC本編で戦っていた彼女たちそのままであって欲しかったようで、「こんな形で登場させられるなら無念の死を遂げたままずっと放っておいてくれた方が綺麗だったのに」という主張にその万感の思いが集約されている。この主張自体は何も間違ったことではなく、一ファンとして思うだけに留めているならば何も問題はない。
FGOは複数ライターの執筆による、大変シェアワールド性の強い作品である。原作は奈須きのこが、Zeroは虚淵というライターが書き上げた。一方、FGOは型月ワールドの生みの親である奈須きのこ含む三人の複数ライターによって形成されている。章によっては、奈須きのこは軽い監修に留めて他のライターに好き勝手させたものもある。CCCはきのこが直々に手掛けた作品であり、このようなCCC本編とFGOコラボとの乖離が見られるのは他ライターにきのこが設定を任せたからか、と言うと、そうではない。CCCコラボはCCCのライターであるきのこの完全監修によって行われると明言されている。
それらを踏まえた上で、型月厨の以下の発言について考えてみて欲しい。
「きのこはCCC未プレイ」
「きのこは原作を読め」
「キャラはきのこの玩具ではない」
Zero騒動においては「きのこがZeroを直接書かなかったために設定の乖離が起こった」とされており、結果「Zeroは前日譚ではなく外伝」だという解釈に落ち着いた。FGOは最初から外伝作品という扱いであり、CCCコラボのキャラクターの設定についてはきのこ本人が手を加えている(生放送でも「(新しい設定を踏まえた)キャラの台詞は全てきのこが考えた」と明言されている)。前者においてはZeroライターへと怒りの矛先が向けられたが、今回ではついに原作者・奈須きのこへと怒りの矛先が向いた形になる。Zeroにおいてはさんざん奈須きのこが手掛けた作品ではないからと馬鹿にしていた型月厨たちは、きのこが自分の理想に反する設定を書いた途端に、手のひらを返してきのこを誹謗中傷しはじめた訳である。ここに矛盾した生態が垣間見えた。
作品の理想を胸のうちに秘め、同好と語り合ううちはそれが万人に受け入れられがたいものでも尊重される。同好との語り合いに部外者が割り込んで違う理想を押し付けるのはいらぬ争いを招くし、間違ったことである。これと同じことがファンと作者の間でも言える。作者の書きたいことにファンの理想を押し付けるのは、とても不毛なことである。また、ファンと作者の間にある隔たりはファン同士の間にある隔たりよりもずっと大きい。作者は生産する側で、ファンはそれを受け取る側であることを忘れてはならない。作者とファンはどう言い繕っても対等な関係ではないのだ。ファンには意見や批判を口にする権利がある。だが、作者にはファンの批判を選ぶ権利がある。全ての批判を受け入れてファンの言う通りにつくった作品は、果たして本当にその作者の作品と言えるのであろうか。
「キャラはきのこの玩具ではない」と言うが、「キャラはきのこがつくったもの」であり版権は奈須きのことCCCの制作会社にある。少なくとも「キャラはファンの玩具ではない」のは間違いない。作者に押し付けるほどの理想が芽生えたなら、それを秘めるだけに留められないなら、自らが作者になるしかないのではないか。
~型月厨の「型月内(特にFateシリーズ)での暴走」問題
Fate/Zero(以下Zeroと記述)騒動を覚えているだろうか。StayNight原作(以下原作と記述)の前日譚として発表されたZeroだが、ライターの違いによりアルトリアやギルガメッシュなどの原作出身キャラの性格や設定が変わってしまい大きな波紋をおこした。それはそのままZeroファンと原作派間の不毛な解釈戦争へと発展し、最終的には「Zeroは前日譚ではなく、IFの過去(つまり外伝)」という形で落ち着くことになった。
この騒動においては特に、原作のライターである奈須きのこが監修するに留めて、Zeroのライターに事細かく指示しなかったために原作とZeroとの間で致命的な設定乖離が起こった、というのが通説である。「きのこがZeroを書いていればこんなことにはならなかった」という趣旨の発言、ZeroライターとZeroファンへの見下し発言が各所で見られたのを覚えている。
この騒動を振り返った上で、今回のFGOのCCCコラボ騒動を俯瞰してみよう。Fateシリーズの中でも屈指の人気を誇った外伝作品Fate/EXTRA CCC(外伝作品であるFate/EXTRAの続編『以下CCCと記述』)と、型月シェアワールドに参加した複数のシナリオライターによって形成されたFateの外伝作品であるFate/Grand Order(ソーシャルゲーム『以下FGOと記述』)のコラボ企画が2017年3月某日に発表されてから少しずつ火が付き、4月某日のFGOのイベント前日生放送の発表によって爆発的に燃え上がり大騒動となっている。ここで型月厨たちによって問題視されているのは、やはりCCC本編における敵キャラクターたちがFGOに味方として参戦するに際して「CCC本編の主人公たちとの戦いやコミュニケーションを通して改心(成長)した」という名目で「設定が歪められてしまった」ことが大きいようだ。型月厨たちの望んでいたそのキャラクターたちはCCC本編で戦っていた彼女たちそのままであって欲しかったようで、「こんな形で登場させられるなら無念の死を遂げたままずっと放っておいてくれた方が綺麗だったのに」という主張にその万感の思いが集約されている。この主張自体は何も間違ったことではなく、一ファンとして思うだけに留めているならば何も問題はない。
FGOは複数ライターの執筆による、大変シェアワールド性の強い作品である。原作は奈須きのこが、Zeroは虚淵というライターが書き上げた。一方、FGOは型月ワールドの生みの親である奈須きのこ含む三人の複数ライターによって形成されている。章によっては、奈須きのこは軽い監修に留めて他のライターに好き勝手させたものもある。CCCはきのこが直々に手掛けた作品であり、このようなCCC本編とFGOコラボとの乖離が見られるのは他ライターにきのこが設定を任せたからか、と言うと、そうではない。CCCコラボはCCCのライターであるきのこの完全監修によって行われると明言されている。
それらを踏まえた上で、型月厨の以下の発言について考えてみて欲しい。
「きのこはCCC未プレイ」
「きのこは原作を読め」
「キャラはきのこの玩具ではない」
Zero騒動においては「きのこがZeroを直接書かなかったために設定の乖離が起こった」とされており、結果「Zeroは前日譚ではなく外伝」だという解釈に落ち着いた。FGOは最初から外伝作品という扱いであり、CCCコラボのキャラクターの設定についてはきのこ本人が手を加えている(生放送でも「(新しい設定を踏まえた)キャラの台詞は全てきのこが考えた」と明言されている)。前者においてはZeroライターへと怒りの矛先が向けられたが、今回ではついに原作者・奈須きのこへと怒りの矛先が向いた形になる。Zeroにおいてはさんざん奈須きのこが手掛けた作品ではないからと馬鹿にしていた型月厨たちは、きのこが自分の理想に反する設定を書いた途端に、手のひらを返してきのこを誹謗中傷しはじめた訳である。ここに矛盾した生態が垣間見えた。
作品の理想を胸のうちに秘め、同好と語り合ううちはそれが万人に受け入れられがたいものでも尊重される。同好との語り合いに部外者が割り込んで違う理想を押し付けるのはいらぬ争いを招くし、間違ったことである。これと同じことがファンと作者の間でも言える。作者の書きたいことにファンの理想を押し付けるのは、とても不毛なことである。また、ファンと作者の間にある隔たりはファン同士の間にある隔たりよりもずっと大きい。作者は生産する側で、ファンはそれを受け取る側であることを忘れてはならない。作者とファンはどう言い繕っても対等な関係ではないのだ。ファンには意見や批判を口にする権利がある。だが、作者にはファンの批判を選ぶ権利がある。全ての批判を受け入れてファンの言う通りにつくった作品は、果たして本当にその作者の作品と言えるのであろうか。
「キャラはきのこの玩具ではない」と言うが、「キャラはきのこがつくったもの」であり版権は奈須きのことCCCの制作会社にある。少なくとも「キャラはファンの玩具ではない」のは間違いない。作者に押し付けるほどの理想が芽生えたなら、それを秘めるだけに留められないなら、自らが作者になるしかないのではないか。
コメント
「文句あるなら自分で書け」くらい一行で書けよぐだぐだ腐れ菌糸みたいに長い文書いてんじゃねえ
誰もが思う当たり前の道理を形にされなきゃ分からない人が増えたのは悲しいことです。
CCCキャラの設定に変更があったことに怒りを覚えるファンがうっとうしいってことなの?
これまでもうっとうしい型月厨なんてそこら中にいたし
だからこそ型月厨うざいって風潮があった
今更すぎて問題提起するまでもなくないか
あと根本的に読解力の無い輩はとりあえずの罵倒やら揚げ足やら取らんでいいから大人しくしとけ底辺がバレるぞ
前作との繋がりを感じられないキャラや設定改変をしても
続編・コラボを発表しても読者に強く批判されるに当たらない」
という主張でいいのでしょうか。
この場合問題になるのは前作との客観的な繋がりがいかほどか、
続編・コラボを宣伝する際の宣伝文句がいかなるものであったかだと思います。
これがいかにも前作と地続きであるだとか、前作キャラが登場すると宣伝して
その実全く繋がっていませんでしたとなれば
どこの誰が何のジャンルを書いていたとしても批判されるのでは。
商業作品として世に出した以上原作者であっても設定や世界観は守らなくてはいけないし設定資料集もだしているなら猶更です
そもそも成長と称してキャラの根幹部分まで改変しているものを受け入れることはできないしムーンセルの設定を知っていればコピーなんてものが作られるわけないこともわかることですし色々と矛盾が多すぎて納得できない